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電子部族P-MODEL(1) [電子部族P-MODEL]

1994年9月23日、日比谷野外音楽堂「平沢三幕三時間」。
このライブイベントで配られた告知チラシにより
次期P-MODELの正式始動 <改訂> が、初めてファンに向けて公表されました。

I3DAYS’94 TOKYO & OSAKA

I3DAYS'94 TOKYO & OSAKA
12/ 1 大阪・難波 W'OHOL
12/12 東京・新宿リキッドルーム


次期メンバーは誰なのか?
大阪先行のライブスケジュールが発表された時に、
平沢の盟友にして、関西テクノの重鎮である小西健司の加入を予測した、
目ざといファンも居たと伺っています。
しかし、この段階で、後に「電子部族」と呼称される次期P-MODELの
活動プランまでを想像した者は、誰一人いなかったことでしょう。


12/1 今は無きライブハウス、難波 W'OHOL。
インダストリアルなテクノ出囃子(後に“11th Fact”と命名)に乗せ、
解凍期と比べて洗練されたAMIGAボイスと、投影されたCGによるメンバー紹介。
福間 創・小西健司・上領 亘の順に登場し、最後にリーダー平沢 進の名が告げられ、
超満員の観客を前に、新生P-MODELは改訂を果たしました。

解凍期の代表曲である“SPEED TUBE”から始まって
80年代の作品“SOLID AIR”“旬II”などを新アレンジで演奏。
MCでは平沢から各メンバーのお披露目がされたり、
アンコールの“2D OR NOT 2D”では、小西が舞台前まで迫り出して
観客に向けてプレゼントを放り投げる(最後はパワーグローブ!)。
おおむね、お祭りムードに包まれた改訂ライブでした。


ここで特筆すべきは平沢のMC。
「電子部族」「ネットワーク活動を奨励する集団」
「(今回のP-MODELは)ネットワークによって成り立つ」などの
キーワードが、すでに散りばめられてました。

同年5月にリリースされた、解凍期最終ライブ収録のライブアルバム
“PAUSE”のライナーノーツにて、ネットワーク社会への移行を予告し、
ソロアルバム“AURORA”から楽曲制作環境も、従来のハードウェアシーケンサーから
AMIGA上のソフトシーケンサーに移行してましたが、
このときの発言の通り、その後のP-MODELはネットワークに
主軸を置いた活動を繰り広げていくことになります。

時はWindows95のリリース前年、
DOS/Vマシンはブリキ仕立てのようなGUIモドキを走らせるのに精一杯、
国産PCメーカーはPC-9801の独壇場に、他社が独自仕様のマシンで戦いを挑んでいた最終局面。
Macintoshは独自の進化を遂げる高嶺の花。
平沢の愛したAMIGAは、開発元のコモドールが倒産し、
生みの親のジェイ・マイナーは神の元へと召されました。
(追悼ライブ“Adios Jay”が催されたのは、P-MODEL改訂直後でした)
ようやくCD-ROMが普及の兆しを見せ始めたものの
パソコン通信環境は安価に提供された2400bpsが当たり前。
重いサイズのJPEG画像や音声ファイルはリッチな28800bpsに接続して落とす。
まさにインターネット夜明け前のことでした。


新生P-MODELは大阪・東京のお披露目ライブを終えた後、しばし音沙汰がなくなります。
翌1995年、まず平沢のソロ活動日程が公表され、その水面下でP-MODELの準備が進行しました。
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