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P-MODEL MEMBERS RARE DISCS(4)<小西健司 編> [特別企画]

P-MODELに縁あるミュージシャンの、今ではちょいと珍しい音盤を紹介する新春企画。
本日は第4回、小西健司を取り上げます。


80年代からP-MODELとの付き合いがあり、90年代中期にはP-MODELに加入して
旧来のファンに驚きを与えた電脳関西の鉄人。
2000年のP-MODEL活動停止後はインターネットを拠点とする縁側.jpを主宰。
2006年には横川理彦・成田忍らとともに4-Dを再開させ、現在まで活動継続中。

小西と言えば、何はなくとも“4-D”ですが、
4-Dが80年代にリリースしたソノシートやアナログ12インチ盤は、
2006年に「Die Rekonstruktion」というアンソロジーアルバムに
まとめられており、これ一枚でほぼ把握できます。
Die Rekonstruktion

Die Rekonstruktion

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ブリッジ
  • 発売日: 2006/04/30
  • メディア: CD


90年代の主だった4-D作品は「ANALYZE」ぐらいですが、
T.K.M.・Iron Beat Manifestoでの諸活動を行い、
一時期はP-MODEL・平沢ソロの日比谷野音ライブイベントである
ERRORシリーズにも、たびたび出演してました。

他にも平沢との絡みでは、80~90年代の往復書簡ユニット“不幸のプロジェクト”や
“CLUSTER”のレデリウス達とインターネットを介して製作した“Global Trotters”が有名ですね。
不幸はいかが?

不幸はいかが?

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ディウレコード
  • 発売日: 1996/10/05
  • メディア: CD


Drive

Drive

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: biosphere records
  • 発売日: 1999/03/25
  • メディア: CD


2000年代の活動は4-D mode1 OFFICIAL WEB SITE(http://4dmode1.jp/)へ。


上記のように4-Dの音盤は現在でも比較的触れやすいので、本日紹介するのはそれ以前。
マンドレイクの平沢達がP-MODELに移行し、やがてポプリへと変貌する時期に
小西が活動の拠点にしていたプログレユニット“DADA”です。


DADAは1977年暮れに“飢餓同盟”にいた小西と
“カリスマ”というバンドを率いていた泉陸奥彦で結成されました。
翌1978年に1stアルバム「浄」を発表。
その後キングレコードと契約して「DADA」でメジャーデビューするも
第二作を発売することなく解散。
その後、小西は成田・横川らと4-Dを結成。
泉はギタリストとしての活動の後、85年に“KENNEDY”結成。
その後は“After Dinner”などを経て、某ゲーム会社でサウンドディレクターを勤めてるとのこと。


活動時に発表したアルバムは2枚ですが、そのうち「浄」はかなり入手困難。
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2018.07 追記:
DADA 浄(フルアルバム!)

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代わりに1994年に発掘リリースされた「城壁」というアンソロジーアルバムがあります。
cw.jpg

「城壁」音源の収録時期は「浄」と「DADA」の間に作られたデモテープが中心で、
内容はと言えば、非常に真っ当なシンセ・プログレッシブロック。
全10曲ですが小西の曲は「巡礼」のみで、曲タイトルから受けるイメージからなのか、
とても異国情緒の強い作品集です。以下、収録曲目。
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文明
大地のテーマ(パート1)
巡礼
イーライ・サイライ
大地のテーマ(パート2)
プレリュード
アルルの太陽
飛行船(パート1)
飛行船(パート2)
城壁
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2018.07 追記:
その後、2013年に同じジャケットとタイトルの“城壁”というアルバムが出ましたが
内容は別物となってます。経緯はAmazonの該当ページに詳しいのでご覧ください。

城壁 スペシャル・ライヴ(紙ジャケット仕様)

城壁 スペシャル・ライヴ(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: マーキー・インコーポレイティド
  • 発売日: 2013/09/25
  • メディア: CD


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対して「DADA」の方は、同じシンセサウンドながらも
一曲目の「PERPETUAL MOTION」からシーケンサを押しに出してるアルバムです。
dada.jpg
ところどころでプログレ色の強い曲を挟みますが、
小西曲「ジロ君のお誕生日会」はアルバム中、最もテクノポップしてる一曲。
(余談ながら、この曲が10年以上前、WO●OWのジングルで
使われてるのを聞いたときはあまりのことに腰を抜かしました)
最後は本寸法のプログレ曲「アルルの太陽」で締め。こちらも収録曲目。
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PERPETUAL MOTION
ステンレス・ママ
アメリカ
飛行船(パート3)
A.T.B.
ジロ君のお誕生日会
アルルの太陽
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この2枚のアルバムを聴き比べて感じるのは
セックス・ピストルズに端を発したパンクムーブメントというのは
さまざまなロック音楽に影響を与えたんだな、という印象でした。
同時期に活動していたバッハ・リヴォリューションが、
プログレ~現代音楽色強い1st「我が心いまだ安らかならず」と、
パンク~テクノポップ色な2nd「NO WARNING」でまったく印象が違うように、
1978~79年を中心に、その前後で活動してた
数多くのバンドがその年を境にして変貌している。

同じように、1980~81年のテクノポップブーム~終焉の頃にも
また数多くのバンドが、同時期に新たな変貌を繰り返してる。
もちろん、その変化を拒んだバンドも数多くあったのでしょうが、
それらのターニングポイントで変わり続けたバンド達の音楽は、
30年過ぎた今でも語られる機会が多いように感じます。

私はそれらの時代をリアルタイムに見たわけではありませんが、
わずか数年で概念がめまぐるしく変わるさまは、
パソコン通信~インターネット黎明期のそれに
似たような既視感をどことなく感じます。
ちょうど、P-MODELライブアルバム「PAUSE」のライナーで
平沢が説いた「インフォメーション宇宙」の下り。

> 現実感が変わっていく。音楽も、映像も、お金も、社会的な実在も移住した。
> 肉体を離れて定住した情報は、温度も、重力も、時間もない宇宙で、
> 老朽化することなく永遠に漂っている。(中略)
> この感覚を無視してコンピューター音楽をやる事など私にはできない。

これに通じる感覚が当時の音楽シーンにあったのでしょうか。
もしもそうならば、変化を意識して変貌を繰り返し続けながら
創作活動を糧にする精神的重圧は、想像を絶するものがありそうです。
そして重圧を押しのけて、変化を繰り返しながらも
一本変わらぬ発想根幹を持ち続けられるクリエイターは
どのような環境においても己の創作欲求に従い、
自分の分身を世に出し続けるのではないでしょうか。

その点に於いて、小西健司はやはり「鉄人」だと思います。


以上、小西健司編でした。
さて、正月も終わりに近づきましたので、そろそろ最終回です。
そこで次回は総集編。
個別には書けなかったメンバーや、これまでに紹介したメンバーの補足、
そしてP-MODEL在籍経験のないP-MODEL周辺のミュージシャンを
アラカルト的に紹介したいなと思います。
明日もお付き合い下されば幸いです。
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