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電子部族P-MODEL(2) [電子部族P-MODEL]

SIM CITY SIM CITY
平沢進 (1995/08/02)
ポリドール
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1995年は平沢進ソロ新作“SIM CITY”から幕を開けました。
前年のプーケット渡航で受けたカルチャーショック、いわゆる「タイショック」に包まれた本作は、
サイモンキャバレーの歌姫をビジュアル・ゲストに迎え、
華やかに彩られた印象を聞く者に与えました。

インタラクティブライブも2年目に突入。
ヤマハから発表された新楽器「Miburi」を使い、
演奏やCGトリガーを諸動作によって制御する姿は
ライブパフォーマンスの視点からも非常に映え、
オーディエンスからも大いに支持されました。
また、サイモンキャバレーからMiss.Nを招聘。
彼女の神秘的な佇まいに、息を飲んだ観客も多かったことでしょう。
SIM CITY DVD

Miss.N & HIRASAWA


一方、P-MODELの方も、新譜制作がスタートします。
“SIM CITY”のレコーディングが3月に終わり、
同月からP-MODELのレコーディングがスタート。
この最中に、ケラ率いるLONG VACATIONの解散ツアーに
レコーディング逗留中の軽井沢から平沢が駆けつけ,
ゲスト出演を果たした、というエピソードもありました。
HIRASAWA & KERA

9月30日には、前年12月のお披露目ライブ以来の
P-MODELライブとなる「ENDING ERROR」が日比谷野音で開催。
また、同日に“舟”のリミックス盤である“Corrective Errors Re-mix of 舟”が
DIW/SYUNレーベルからリリースされます。
Corrective Errors

まだ発表前の新アルバムに先駆けて、
リミックス盤を発表するという変則スケジュールでしたが、
これには理由があったようです。
ライブ中のMCで、平沢が「ポリドールやめた」と発言、
次なるレコード会社はコロムビアに決定し、
新譜は12月に発売される、と報告されました。

ライブ本編は、凍結前の80年代曲が中心に選曲され、
そこに解凍期ナンバーと新譜収録曲が挟まれる構成でした。
改訂ライブでも演奏された“SOLID AIR”・“旬II”に加えて
“BOAT”・“オハヨウ”・“オランダエレメント”など披露。
“KAMEARI POP”では平沢のMiburi演奏が登場し、
“PERSPECTIVE II”と“PERSONAL PULSE”は福間の手によるアレンジ。
さらに小西の4-Dナンバー“AFTER DINNER PARTY”まで演奏されて、
まだまだお祭りムードが漂うP-MODELでした。
ENDING ERROR VHS



10月には再び平沢ソロイベント。2度目の万国点検隊となる
「ウィッワット・タラサンゴップ仮装救出移動団」が敢行。
万国点検隊1995

SIM CITYツアーのアンコール、
「はやく電源を落とさないと(退治した悪役の)バイナリーデカルトが複製してしまう。
 それでもアンコールするか?」
…の問いに大歓声でアンコールを求めた観客。
その結果バイナリーデカルトが再生……と言う、
仕組まれたハプニングに端を発した点検隊は、
バンコク・アユタヤ・アットアルンを股にかけて、
息つく間もなく、参加者達を駆け巡らせました。

この点検隊の模様は、大手パソコン通信ネットの
NIFTY-Serveに設けられたホームパーティ(会議室)、
「プレ・サイバー Hirasawa Bypass/万国点検隊」で逐一報告され、
日本のファンも点検隊の状況を、半リアルタイムながらも伝え聞くことが出来ました。
(非パソコン通信のファンには会議室ログを有料プリントアウトするサービスも実施)
そして、この一件が、当時のファンクラブであるHIRASAWA BYPASSの
公式パソコン通信フォーラム「HIRASAWA CYBER BYPASS」設立のきっかけとなります。


1995年はP-MODEL・平沢ソロ、コロムビア・DIW/SYUN、
様々な要素が複雑に絡みつつ、ネットワークコミュニケーションの土壌が育まれました。
同じく1995年にはWindows95が発表。「インターネット元年」と呼ばれ
世間においてインターネットという単語がようやく浸透しはじめた年でもありました。
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電子部族P-MODEL(1) [電子部族P-MODEL]

1994年9月23日、日比谷野外音楽堂「平沢三幕三時間」。
このライブイベントで配られた告知チラシにより
次期P-MODELの正式始動 <改訂> が、初めてファンに向けて公表されました。

I3DAYS’94 TOKYO & OSAKA

I3DAYS'94 TOKYO & OSAKA
12/ 1 大阪・難波 W'OHOL
12/12 東京・新宿リキッドルーム


次期メンバーは誰なのか?
大阪先行のライブスケジュールが発表された時に、
平沢の盟友にして、関西テクノの重鎮である小西健司の加入を予測した、
目ざといファンも居たと伺っています。
しかし、この段階で、後に「電子部族」と呼称される次期P-MODELの
活動プランまでを想像した者は、誰一人いなかったことでしょう。


12/1 今は無きライブハウス、難波 W'OHOL。
インダストリアルなテクノ出囃子(後に“11th Fact”と命名)に乗せ、
解凍期と比べて洗練されたAMIGAボイスと、投影されたCGによるメンバー紹介。
福間 創・小西健司・上領 亘の順に登場し、最後にリーダー平沢 進の名が告げられ、
超満員の観客を前に、新生P-MODELは改訂を果たしました。

解凍期の代表曲である“SPEED TUBE”から始まって
80年代の作品“SOLID AIR”“旬II”などを新アレンジで演奏。
MCでは平沢から各メンバーのお披露目がされたり、
アンコールの“2D OR NOT 2D”では、小西が舞台前まで迫り出して
観客に向けてプレゼントを放り投げる(最後はパワーグローブ!)。
おおむね、お祭りムードに包まれた改訂ライブでした。


ここで特筆すべきは平沢のMC。
「電子部族」「ネットワーク活動を奨励する集団」
「(今回のP-MODELは)ネットワークによって成り立つ」などの
キーワードが、すでに散りばめられてました。

同年5月にリリースされた、解凍期最終ライブ収録のライブアルバム
“PAUSE”のライナーノーツにて、ネットワーク社会への移行を予告し、
ソロアルバム“AURORA”から楽曲制作環境も、従来のハードウェアシーケンサーから
AMIGA上のソフトシーケンサーに移行してましたが、
このときの発言の通り、その後のP-MODELはネットワークに
主軸を置いた活動を繰り広げていくことになります。

時はWindows95のリリース前年、
DOS/Vマシンはブリキ仕立てのようなGUIモドキを走らせるのに精一杯、
国産PCメーカーはPC-9801の独壇場に、他社が独自仕様のマシンで戦いを挑んでいた最終局面。
Macintoshは独自の進化を遂げる高嶺の花。
平沢の愛したAMIGAは、開発元のコモドールが倒産し、
生みの親のジェイ・マイナーは神の元へと召されました。
(追悼ライブ“Adios Jay”が催されたのは、P-MODEL改訂直後でした)
ようやくCD-ROMが普及の兆しを見せ始めたものの
パソコン通信環境は安価に提供された2400bpsが当たり前。
重いサイズのJPEG画像や音声ファイルはリッチな28800bpsに接続して落とす。
まさにインターネット夜明け前のことでした。


新生P-MODELは大阪・東京のお披露目ライブを終えた後、しばし音沙汰がなくなります。
翌1995年、まず平沢のソロ活動日程が公表され、その水面下でP-MODELの準備が進行しました。
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